第13回 防災教育のすすめ ~命を守る防災教育の考え方と実践事例-前編-~
宮﨑 賢哉(ミヤザキ ケンヤ)、防災教育コンサルタント/社会福祉士
災害救援ボランティア推進委員会主任/(社)防災教育普及協会事務局長 兼務
【サマリー】
学校での防災教育や地域での防災学習に取り組みたい方から「必要なのは分かっているけれど、何から始めたらよいのか分からない」「自分はやる気があるけれど、周りが協力してくれない、参加してくれない」と言った声をよく聞きます。本講は「地域防災インストラクター(※災害救援ボランティア推進委員会主催の上級講座を修了し、指定の課題をクリアした方)」希望者を対象とした講義内容を中心にご紹介します。
【注意事項】
本講は災害救援ボランティア推進委員会第16期上級講座における科目「地域連携プログラム」における講義内容を整理したものです。概ね講義内容に準じますが、筆者が一部公開に適さないと判断した部分は省略・割愛しています。何卒ご了承ください。
●本講の内容(前編)
はじめに
1 なぜ防災教育(防災学習)は必要なのか
(1) 防災教育(防災学習)実践現場が抱える課題と教科⼊りへの議論
(2) 精神論、理想論ではない具体的⼿段の模索
(3)「忘災」への対策が原点であり終着点
(4) 釜⽯東中学校の事例検証
2 命を守る防災教育(防災学習)の考え方
(1) 防護動機理論に基づく2つのポイント
(2) 「やらない・できない・興味ない防災」に至る意志決定プロセス
(3) “最善を尽くせ”とはどういうことか
3 学習指導計画と目標設定
(1) 段階的で継続的な防災リテラシ向上
(2) 文科省による防災教育学習目標
(3) 学習成果と目標行動の関係
●本講の内容(後編)
4 防災教育(防災学習)実践事例
(1) 防災教育実践手法マトリクス
(2) 体験「うさぎ一家のぼうさい荷作り」
(3) 事例紹介「ぼうさい探検隊」
5 防災教育(防災学習)のすすめ
(1) 防災教育の評価分析と科学的根拠に基づく実践
(2) 防災教育実践の標準化に向けて
おわりに
はじめに
まずはじめに「一般社団法人 防災教育普及協会」についてご説明します。防災教育普及協会は
• 防災教育の国内外への普及
• 防災教育教材、プログラムの検証、開発
• 防災教育に関する調査研究
• 防災教育指導者の育成支援
• 関連事業・調査研究への協力
という5つの事業を進めていくために、2005年頃より各地で始まった防災教育支援事業の関係者(有識者,NPO,民間企業等)が発起人となり2014年に設立されました。2015年3月の国連世界防災会議を見据え、夏以降各種事業を展開します。詳しくは こちら をご覧ください。
http://www.bousai-edu.jp
同会では今後、様々な教材やプログラムをご紹介していくほか、教員研修はじめ各種の研修を実施します。
時折、同会のサイトもご覧いただければ幸いです。
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1 なぜ防災教育(防災学習)は必要なのか
(1) 防災教育(防災学習)実践現場が抱える課題と教科⼊りへの議論
これまでの経験から、防災教育実践現場が抱える課題は大きく3つに整理できます。
☑ 何から始めたらいいのか分からない(知識・経験不足への不安)
☑ 時間や予算が確保できない(学事日程・指導計画・経費との兼ね合い)
☑ 実施しても継続できない(管理職・担当教員の異動)
この課題の解決策は地域や学校によってそれぞれ異なりますので、結果的に防災教育の進捗状況、普及状況というのは地域・学校毎に異なってきます。従って「できるところはできるけど、できないところはできないまま」ということになります。これは憂慮すべき事態です。
一概には言えませんが、防災教育の代表例として有名になった「釜石市立釜石東中学校」のように、防災教育で命が守れるのだとしたら、防災教育ができる学校とそうでない学校との間に「命のリスク」に差が生まれることになります。もっとはっきり言えば「助かる児童生徒と助からない児童生徒」の線引きが、既に始まっている可能性がある、ということです。
その差をなくすためにはどの学校でも実施すればよい、教科化して時間も予算も確保すればよい、ということになります。実際に文部科学省中央教育審議会も、学年毎の課題を整理して、指導要領改訂と防災教育の教科化を視野に入れた検討を行っています。
ところが、全国都道府県教育委員会連合会による調査報告書(H24年度)によると、防災教育教科化に対して47都道府県中32県が「必要ない」と回答(68%)しています。
大ざっぱにまとめれば「国として防災教育を教科化していく方向性だけど、現場としては評価が難しく、現行科目で対応できると考えている」というのが現状です。当然ながら、このまま教科化の話だけが進めば現場とのかい離は大きくなり、いずれ、あるいは既に「防災教育指導者の不足」という現状が浮き彫りになります。
消防や我々のようなボランティアが協力するにしても、全校全児童は到底フォローできません。かといって、今の先生方皆さんに「防災教育ができるようになれ!」というのも無理な話です。抜本的な対策を考える必要があります。
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(2) 精神論、理想論ではない具体的⼿段の模索
「抜本的な対策」がすぐに講じられれば話は簡単なのですが、そうもいかないのが難しいところです。方針と現場のかい離は既に始まっています。その典型的な例が精神論・理想論と具体的学習目標の混同です。
例えば「災害から命を守れるようになる」とか「地域防災に貢献できる生徒になる」といった目標があるとします。但し、これはあくまで「理想的には」ということを忘れてはいけません。そもそも、指導する側、つまり教員やボランティア本人が「本当に災害から命を守れるのか」「普段から地域防災に貢献しているのか」という話です。自信をもって「できます、してます」と言える方はごく少数でしょう。
自分にできない(やっていない)ことを、どうして児童生徒に説得力をもって教えられるのでしょうか。仮に教えることはできるかもしれませんが、結局のところ経験不足は理想論と一般論の間で補わざるをえず、当を得た指導は難しいのではないでしょうか。かといって「まずは地域防災活動への参画から」ともいきません。
それでも「防災教育はやらねばならない、やっていきたい」のが現状です。
そこで生まれてくるのが前述した理想と現実の混同です。「(この発達段階の)子どもたちに何ができるか」を考えるためには、災害対応全体を考慮してどこまでを大人がやるべきで、どこからを子どもにさせるのか、を整理する必要がありますが、そのイメージに必要な基礎知識や経験が不足していると、どこかの誰かが示す「理想論」に頼らざるを得ません。
では、いったい何ができれば「命を守れる」と言えるのでしょうか。何をしたら「地域防災に貢献できる生徒」だと言えるのでしょうか。すぐに答えは出ません。分からないことを考えてもしょうがないので、この問いはとりあえず脇に置いておきましょう。
いま、我々がすべきことは精神論や理想論を追うことでも、理想と現時のかい離を嘆くことでもなく「具体的手段」を講じることです。
子どもたち、生徒、地域住民の命を守りたいですか。では、何が彼らにとって最大の危険(リスク)ですか。そのリスクを回避・軽減・転嫁・受容、どのようにして取り除くまたは受け入れますか。
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(3)「忘災」への対策が原点であり終着点
僕は防災講演会や教員研修等でよく「エビングハウスの忘却曲線」を紹介します。
ごく簡単に言えば「人は単純な記号の羅列をあまり覚えていられない」ということです。そして、多くの方々にとって地震や災害の記憶というのは「記号の羅列」にしか過ぎないということです。一般的に震災に対する記憶は【1995年・阪神淡路大震災・6,000人(くらい)】【2011年・東日本大震災(津波・原発)・20,000人(くらい)】といった感じです。
自分自身や親しい人が被災した、あるいは何らかの強い思い入れがある場合は「エピソード記憶」といって感情も含めて憶えていることができますが、記号は日々の記憶に上書きされていってしまいます。
本講を読んでいただいている方だとしても、およそ90年前の関東大震災のことを、どれだけ具体的にイメージすることができるでしょうか。
どんな被害があり、どんな教訓があったのか、「憶えて」いるでしょうか。
災害を忘れること、つまり「忘災」は、私たち、ひいては次の世代の子どもたちが学ぶべき教訓を、雑多な情報で洗い流していまいます。
それは結果として「命のリスク」を高めることになります。
東日本大震災を風化させるな、と言っているのではありません。それ以前のあらゆる震災・災害に学ぶべき事があったはずで、それを学ぶために数え切れないほどの命が失われたきたと伝えたいのです。そのことに、映像や講話で子どもたち、地域住民に気付いてもらうこと。それは僕の考える「具体的手段」のひとつです。
大それた指導案も教材もプログラムも必要ありません。要は考え方、気付きの段階の話です。
ただ「日本は幾度も災害に見舞われ、その都度何万何十万もの人が犠牲になってきた」という現実、そして「防災」とはそうして失われてきた数多の命が教えてくれる、大切な教訓なのだと、気付いてもらうことが防災教育の原点であり、また終着点でもあると考えています。
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(4) 釜⽯東中学校の事例検証
防災教育は”奇跡を生み出す魔法の泉”ではありません。
時間とお金と労力、それに携わる人々の強い意志が防災教育の源泉です。これは抽象的表現ではなく事実です。時間もお金も労力もかけず、適当な気持ちで防災教育を行って命が守れるならば、とっくの昔に「防災教育」は普及・成立し、命が失われることもなかったはずです。そうでないから、今これほどまでに必要に迫られ、また課題となっています。
釜石東中学校の事例を奇跡で片付けるのではなく「現実に起こった(人が起こした)こと」として受け止め、ヒト・モノ・カネといったある種生々しいものがどう対応に影響したのか、を考えると様々なヒントがあることでしょう。
大切なのは、”防災・防災教育の実践に近道も抜け道もない”ということ”奇跡を求めても命は守れない”ということです。
防災にはお金も時間も労力もかかりますし、面倒で結果もすぐには出ないでしょう。しかもやり続けなければいけない。大人になってからそれができる人はごくわずかです。だからこそ、例え様々な課題はあっても教育現場で、具体的手段によって、学べるうちに子どもたちに伝えてあげることが重要です。
■参考資料(授業でも使えます!)
東京都教育庁製作・災害救援ボランティア推進委員会企画
「助け合う防災教育~学校・地域・家庭のつながりをつくる~」DVD,15分
※ご希望の方は「お問い合わせ」よりご連絡ください。
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2 命を守る防災教育(防災学習)の考え方
第1項では、防災教育、防災学習の現状と課題、必要性について考えました。第2項では、基本的な考え方について触れていきます。
(1) 防護動機理論に基づく2つのポイント
釜石東中学校は奇跡によって助かったのではない、としましたが、では「いったい何が命を守ったのか」と考えたときに一番はじめに来るのが【決断】です。
先生方やさらなる高台への避難を”決められた”から助かったのです。但し、それが適切(正解)であるかどうかを、その時点で判断することはできません。
それでも決めなければならないのが「災害時の決断」です。
僕は災害ボランティアとしての経験から、災害時の決断のポイントをごくシンプルに
1.決断は素早くする(正解を求めず最悪を回避する)
2.情報が足りなくても決める(知識・経験で情報を補う)
3.決めてから状況に応じて修正する(柔軟な姿勢を持つ)
と説明していますが、これは経験則的な現場対応術に過ぎません。
本項ではもう少し災害時の決断について理論的背景に基づき説明します。
安全教育では基礎理論として防護動機理論(Protection Motivation Theory)という理論があります。防護動機理論に基づくと、適切な(一般的に適切だと思われる)行動をとるためには「災害の脅威に対する評価」と「災害に適切に対処できることの評価」が行動につながると考えられます。
例えば、目の前に熱々のお鍋があるとしましょう。もしそれをそのまま持ったらヤケドしてしまいます(災害の脅威に対する評価)。鍋つかみ(ミトン)を使えばヤケドをしないと知っていれば(災害に適切に対処できることの評価)、ヤケドをせずお鍋を運べます。
地震・津波を例にすれば
○ 地震災害が大きな被害をもたらす可能性があり、自分も危険だと認識する。
○ 適切な対処をすれば、例え被害が出ても回避できると認識する。
ということが適切な行動、「災害時の決断」へとつながりますし、どちらかが欠けてしまえば行動につながらない可能性がある、ということです。
例)危険だと思わないから逃げない、対処方法を知らないから何もできない、等
従って「命を守る防災教育」の基本的考え方は、この2点をしっかりと児童生徒、地域住民に認識させることになります。
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(2) 「やらない・できない・興味ない防災」に至る意志決定プロセス
前述のように、災害時の安全行動は防護動機理論に基づき考えることができました。だから防災(教育)は必要だ、大切だ、というのはもっともらしい意見です。
ただ「なら、なんで防災(教育)は様々な世代に幅広く広がらないのか」という話になります。
そこで、私たちが普段どのようにして「決めて」いるかを意志決定のプロセスで読み解いていきます。
■人はどのようにして「決める」のか(6段階の合理的な意思決定プロセス)
1.問題を認識する
2.意思決定の判断基準を特定する
3.判断基準を秤にかける
4.代替案を考える
5.それぞれの案を判断基準に照らして評点をつける
6.最適な意思決定を見積もる
ざっくりと整理すると「人は一般的に、自分の価値観(経験)を秤にかけながら決めている」ということです。従って防災(教育)より大事なもの、大切なものがある人にとっては、いくら防災(教育)を大事だと思っている人が大事だと言ったところで、意志決定に影響することはない、ということです。
これは児童生徒、地域住民も同様です。いくら指導者が大事だと思っても、彼らが大事だと思わなければ前述した危険・適切な対処の認識にはつながらないのです。
「命を守る防災教育」では、その内容だけでなく、対象者の世代、価値観、ライフスタイル、なども考慮することが重要になります。
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(3) “最善を尽くせ”とはどういうことか
津波避難3原則のひとつに「そのときに出来る最善を尽くせ」というのがあります。
それはそれで正しいと思うのですが、僕がひとつ疑問に思うのは「自分の命が危険かもしれないと思った人で、最善を尽くさない人がいるのだろうか」ということです。
ただ、被害の有無はその最善が知識や経験のある人にとっての最善と、その方にとっての最善とが異なっていたということであって、被災した誰もがその場で最善を尽くしたのではないか、という気がしてならないのです。
従って僕は「(その時に)最善を尽くせ」だけではなく「(その時が来る前に)最善を尽くせ」ということをお伝えしたいと思います。
「命を守る防災教育」はその時、何ができるかだけではなく「それまで何をしてきたか」にかかっていると言えるでしょう。
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3 学習指導計画と目標設定
(1) 段階的で継続的な防災リテラシ向上
さて、本項では具体的な指導計画や目標設定について触れていきます。
京都大学の林先生による整理では、防災リテラシー(防災に関する基礎的な理解力、能力のこと)を高めるためには大きく4つの分野からのアプローチが考えられます。
1.自分たちがいま直面しなければならない敵の姿をはっきりさせること【自然科学】
2.被害を予防すべきものを選ぶこと、それを確実に実現する技術、資金、時間【工学】
3.被災を乗り越え被害から回復できる強さ、そのための教え、ノウハウ、助け合い【社会科学】
4.これら3つの力を使って問題を解決する力【生きる力】
つまり「本当に防災について身に付けるためには勉強しなきゃいけないことがいっぱいある!」ということです。
年に1回の防災講演会でどうにかなるようなことではありません。体系的な教育訓練、具体的には義務教育における基礎(必修)教育、高等教育における発展(単位化)などが求められます。
・・・そんなこと言っても今すぐ何とかできないのか!ということになりますが、第1項でも示したとおり、近道も抜け道もありません。
できることから、少しずつ、焦らず進めていく必要があります。
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(2) 文科省による防災教育学習目標
では、文部科学省はどのような学習目標を出しているのでしょうか。
高校段階
安全で安心な社会づくりへの参画を意識し、地域の防災活動や災害時の支援活動において、適切な役割を自ら判断し、行動できる生徒
中学校段階
日常の備えや的確な判断のもと主体的に行動するとともに、地域の防災活動や災害時の助け合いの大切さを理解し、すすんで活動できる生徒
小学校段階
日常生活の様々な場面で発生する災害の危険を理解し、安全な行動ができるようにするとともに、他の人々の安全にも気配りできる児童
幼稚園段階
安全に生活し、緊急時に教職員や保護者の指示に従い、落ち着いてすばやく行動できる幼児
理想的な目標としては理解できますが「どうしたらそういう生徒になれるだろうか」と考えるとなかなか難しい目標です。
まして前述のとおり「安全で安心な社会づくりへの参画を意識して地域の防災活動等に取り組んでいる大人」が、まわりを見渡した時にごくわずかであるような現状において、高校段階までの目標を達成するのは難しいかもしれません。
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(3) 学習成果と目標行動の関係
こうした現状を踏まえて、僕は学習成果と目標行動を明確につなげた目標設定をした上で、学校等での防災教育支援を行っています。
■現実的に考えられる 防災教育全体計画及び教育目標
高校段階 中学校段階
①災害への日常的な備えを正しく説明できる生徒
②主体的に的確な安全確保行動がとれる生徒
③災害例と地域の防災対策、自身の能力を比較し、防災活動や助け合いで自分に何ができるか的確に判断できる生徒
幼稚園段階 小学校段階
①日常の場面の災害の危険を正しく説明できる児童
②指示に従い安全確保行動がとれる児童
③災害時の他者の心情や状況を理解し、配慮ができる児童
小学生までは「きちんと指示を聞いて安全な行動ができる」ことを第一に。
中学生以上は(小学生までの知識・行動を前提として)「指示がなくても行動できるようになる」ことを第一に。
この目標設定であれば、少し勉強すれば学校の先生方も自ら実践する(認識する)ことができます。
自分にできることであれば、児童生徒に自身を持って教えることもできるはずです。
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(後編で実践事例や教材等ご紹介します。最後までお付き合いいただきありがとうございました。)
参考資料・文献:
・林春男(2005),『いのちを守る地震防災学』岩波書店
・スティーブン.P.ロビンス(2009),『組織行動のマネジメント』ダイヤモンド社
・全国都道府県教育委員会連合会 http://www.kyoi-ren.gr.jp/report/houkokusyo.html